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宮崎正弘の国際ニュース・早読み  ネオコンの代表格、ロバート・ケーガンは何をしていたのか? [宮崎正弘

今朝7時過ぎ、北朝鮮はミサイルを発射したとか。米韓軍自演臭中に。

何か起こるのか?起きないのか?まるで解らなくなってきた。

宮崎正弘メルマ

http://melma.com/sp/backnumber_45206_6496488/

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

平成29年(2017)3月6日(月曜日)弐

       通算第5211号  

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 ネオコンの代表格、ロバート・ケーガンは何をしていたのか?

  「共和党フランケンシュタイン(トランプ)に乗っ取られた」と捨て台詞

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 東西冷戦の終結ソ連邦の解体と続いた89年から90年代初頭、ネオコンの旗手だったロバート・ケーガンの旗色は良く、凄まじいほどの勢いがあった。ソ連が崩壊したからには米国の天下である、と自信に満ちていた。

 かれはジャック・ケンプ下院議員のスタッフから国務省に入省し、1988年まで勤めた。ケンプはレーガン革命の旗手として、有力な議会指導者でアメラグのヒーローでもあったから国民の人気が高かった。そのうえ、ケンプは2004年の大統領選挙の時は共和党ボブ・ドール候補の副大統領候補だった。

 その後、ロバート・ケーガンブルッキングス研究所主任研究員となり、『新しいアメリカの世紀』という政治運動の主唱者ともなり、彼が書いた本は、政治議論の好きな人々に読まれた。

 共和党が下野したときは保守系シンクタンクのパリ代表となって欧州からコメントを寄せていた。弟のひとりは保守系AEIの研究員である。

 続けてブッシュ・ジュニア政権となると、911NYテロ事件直後の世論の激化を背景にして、イスラム過激派との対決姿勢を鮮明に打ち出し、イラク戦争アフガニスタン戦争で米国は闘え、新しい世界秩序が世界の安定をもたらすと首唱した。

実際にイラク戦争開戦の世論つくりに貢献したのはネオコンだった。

米国の外交はブッシュ大統領よりも、チェイニー副大統領が主導権を握った。このチェイニーの副補佐官にはケーガン夫人のヌーランド女史が乗り込んで、米国の外交の基本を左右するほどだった。だからリベラルなマスコミはネオコンを敵視した。

 ネオコンの主張は「畏怖と力による世界秩序」である。

 ネオコン保守本流ではなく、トロッキストからの転向組が多い。始祖とされるアービン、ウィリアム・クリストフ親子は元トロッキストだった。

したがって共和党保守本流とは馬が合わないどころか、人脈もことなり、仲が悪く、またユダヤ人が多いため、穏健保守派とも大きな距離があった。

筆者は、この時代の思潮的変化、安全保障問題を、ネオコンを軸に論じ、『ネオコンの標的』(二見書房。絶版)という本を書いて、ネオコンの人脈、その思想的背景と変遷を多岐に分析しつつ、イデオロギー的団結が脆弱であり、この天下は長続きしないだろうと予測した。

 ▼立場を一転、トランプ批判の急先鋒に

 トランプが予備選前の泡沫候補から、予備選で首位に躍り出ると、ロバート・ケーガンは、ワシントンポストに「共和党はグジャグジャに溶解した。トランプはフランケンシュタインだ」(2016年2月25日、ワシントンポスト)と批判した。

ついでに保守強硬派として、テッド・クルーズ(茶会代表)も同時に批判し、「もし彼らが共和党の正式候補となれば、わたしはヒラリーに入れる」と明確に宣言した。

ヒラリーなら世界秩序維持に貢献するだろうから、「トランプよりマシ」というわけだ。

 

そして驚くなかれ、ロバート・ケーガンは、嘗てこき下ろしてきた民主党政権に近づき、オバマ大統領に助言する立場を得ていた。

すでに2014年からニューヨークタイムズのインタビューで「ヒラリー国務長官の安全保障観と外交は心地よい」などと言い、アラブの春ウクライナ民主化を賛美した。

 ヌーランド夫人は国務省幹部として、ウクライナに派遣されて、反ロシア派の陣営を鼓舞していた。

 ウクライナで親露派の勢力が東部で影響力を行使し、またシリアに対して米国は後ろ向きに転じても、ロバート・ケーガンは「リベラル世界秩序」などと修辞を弄び、オバマの不作為による失敗を批判しなかった。このため嘗ての主張から転向していると保守派論客から鋭くこき下ろされた。

 つづけてエジプトに「アラブの春」運動が飛び火し、イスラム同胞団が政権を抑え、米国の利益と対立した。シシ陸軍大将が軍事クーデターを起こし、イスラム同胞団過激派を追い出したが、米国は軍事政権を容認した。

 これはオバマ政権の下、ヒラリー国務長官が展開した外交の後退ではあるが、現実路線であり、イスラムと民主主義とは水の関係である。

 レーガン、ブッシュから、平然とオバマに乗り換えるという転向は、トロッキスト特有の世渡りではないか、というわけだった。

ところが「エジプトの軍事政権を容認した米国は『外交的失敗』を犯した」とロバート・ケーガンは、またまた民主党政権を批判し、支持政党がころころ代わるという意味ではカメレオン評論家と言われた。

 そのケーガンが最近、何を言い出しているかというと、力の行使、米国の秩序主導の世界秩序の回復を強固に主唱し、「戦後世界は米国主導で秩序が維持されてきたのであり、もし、この路線が後退すれば、世界は第三次世界戦争となる。米国が築き挙げた法の支配、民主主義と人権、市場経済という世界秩序はロシアと中国のいう軍事国家から挑戦を受けており、米国主導秩序が破壊されかねない状況に陥没した」と言うのである(「フォーリン・ポリシー」、最新号)。

 ケーガンの物言いは、「オバマ政権の八年間の無作為、国防力の急速な衰えは中国をして堂々と南シナ海制圧、ロシアのクリミア併呑を招いた。米国は力の行使を選択肢としていつでも行使できる軍事大国に復活するべきだ」とするトランプの主張と変わらない。

 カメレオン論客の立場の変更ではあるものの、ケーガンにとっては「畏怖と力による世界秩序」という基本姿勢には、寸毫の変更もないのである。

    ▽△◎み□◇▽や□◎○ざ◎□○き○□◇

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 

                                        

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樋泉克夫のコラム

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【知道中国 1540回】    

    「衰亡國民ノ意節ナキニモ浩歎セサルヲ得サリキ」  (植村)

   植村雄太郎『滿洲旅行日記』(東京偕行社 明治36年)

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 なぜに日露戦争に突き進まねばならなかったのか。ロシアの不当な扱いに対する怒り、満州を抑え北京までも影響下に置こうとするロシアに対する素朴な恐れ、満州の大地が秘める無尽の可能性への熱い念いが、戸水の『東亞旅行談』からはヒシヒシと伝わってくる。やはり歴史は常に現代史である。現代人の小賢しい理屈を持ち込むことなく、当時の国際環境と、その時代を生きた人々の立場に立って、日露戦争を振り返る必要があるだろう。

それにしても「何卒日本人も此の如き壮大なる心を懷いて世界に雄飛するの計畫を立てヽ欲しいものです」という戸水の気持ちは痛いほどに判る。だが、その例として引いた「古人の詩」はイタダケマセン。「衣ヲ振ウ千仭ノ岡、足ヲ濯ウ萬里ノ流」と漢文音読式で朗々と吟ずれば、確かに調子良く耳に響き心を沸き立たせはする。だが、考えてみれば、これまでも再三再四に亘って指摘したように、白髪三千丈式の気宇壮大なダボラの類に過ぎないのである。

 戸水の旅行にほぼ1年遅れた明治36(1903)年8月9日、陸軍歩兵少佐植村雄太郎は神戸港を発つ。先ず釜山に上陸し元山、ウラジオストック、ハルピン、奉天、営口、天津、芝罘、旅順、ダルニーを経て9月25日に「山形衛戍地歸着」した。コースは戸水とも重なる。

「緒言」に「露國研究の念慮は數年前より予か腦裏に浮ひしありも年々勤務に餘暇を得」なかった。幸い「一般将校夏期休暇」を許されたので、「年來外國旅行費として俸給の幾部を貯えありし少額を懷にして」旅立ったとある。本書は植村少佐の自費旅行の旅日記ということになる。なお、原文のカタカナ部分のみひらがなに改めた。

先ずウラジオストック

統計は不正確ながら人口は「約四萬人にして内露人一万五千歐米人五百日本人三千清人二萬韓人千五百位なり」。日本人は「出入頗る繁にして不明なる由」だが、「約三千人」というのが実態に則した数字だろう。だが、このうちには「支那人の妾出の如きは無國籍同樣にして此種の雜出兒甚だ多し」。「市中最も多く見るものは支那朝鮮の勞働者」だが、日本人には労働者は見当たらず、「皆其職を得たるを見る」。だから「此點は他に對し誇るに足る」が「醜業婦の數甚だ多きは歎息に耐へぬ」。

清人の勞働者は多い」が、「富豪の商店亦他國人に比し秀出せり」。そこで「當地の商權は過半清人に歸す」。街に品物は溢れ商売は繁盛しているが、「其賣主は悉く清人にして殆と彼等專有の體なり」。つまりウラジオストックの経済は清人の「富豪の商店」に抑えられていると考えて間違いないだろう。

「露人の清人を虐待するには驚きたり」として、「(ロシア人は清国人を)無暴に蹴り又は打?する」。「人物の高下を問うはす辮髪と見れは恰も犬馬の如く酷に取扱ふ露人の跋扈惡むへし」。同時に「衰亡國民の意節なきも浩歎せさるを得さりき」と。だが「當地の商權は過半清人に歸」していることを考えると、清国人を富豪から労働者まで一緒くたに「衰亡國民」と見做すことは、やはり間違いだろう。おそらく富豪の中には、いや大多数の富豪が自分たちと「恰も犬馬の如く酷に取扱」われる労働者を同国民とは思ってはいない、いや同胞という認識すらないはずだ。国民としての一体感など期待する方が、どだいムリ。

 醜婦業も含め日本人全体は「露人から敬愛を受け諸事親切懇篤に取り扱われている」とするが、一方で「露人は弱味に付け込む性質を有」するから「遠慮する者は却て不幸を來たす」とも記す。

 ロシア人を指し「大國民は氣性は淡泊にして宏量なり」。一方、「我邦人は小局量と猜疑心とを以て之を見るを以て大に其眞相を誤るか如し」と。

苦言は無期限有効なのか。

QED

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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声

                                        

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(読者の声1)北朝鮮が最初の核実験を行ったのが2006年、読売新聞のエルサレム支局長を勤めていた三井美奈氏は、イスラエルユダヤ人から「日本はいつ北朝鮮を攻撃するのか」としょっちゅう尋ねられ、うんざりしたと書いています。(「イスラエルユダヤパワーの源泉」新潮新書2010年)

 同書では北朝鮮によるスカッドミサイルの輸出に脅威を感じたイスラエル北朝鮮と直接交渉を行った経緯にも触れています。1992年にモサドのシャビット長官はハレビ副長官を国交のない北朝鮮に直接送り込んだ。シャビット長官は日本の国会議員や外務省の担当者とも会談し、北のミサイルの輸出について警告し証拠も見せたのに、日本側は真剣に取り合わなかったという。

 平壤にはモサドとは別に外務省からもベンツール外務副次官が乗り込んだ。「むなしい交渉でへとへとになり、眠りに入って一時間すると部屋の扉がノックされ『歯ブラシを持ってきた』『歯磨きはあるか』と言って起こされる。消耗戦でした。それに、彼らは面と向かってウソをつく。私はエジプトやヨルダンなどアラブ諸国とも交渉してきましたが、北朝鮮にはずっと手こずりました」

 外務省代表団と北朝鮮は1993年には北京で交渉を継続、北の譲歩を引き出すも、モサドは交渉継続に反対、ラビン首相は交渉中止を宣言、北朝鮮との交渉の不毛さが伝わってきます。面と向かってウソをつくのは韓国も同じ、南北コリアン共通の性格なのでしょう。

 三井氏は米国のユダヤロビーによりアメリカ外交が過剰にイスラエルを擁護する結果、かえってイスラエル外交政策を縛ってしまうことも指摘しています。トランプ大統領がテルアビブにあるアメリカ大使館をエルサレムに移すとの発言は大きな問題になりましたが、これは1995年に米議会で成立した「エルサレム大使館移転法」が元になっているのですね。この法案成立もユダヤロビーの成果なのですが、当時の米議会記録によると、イツハク・ラビン首相の報道官は「和平交渉を妨げようとする右派の画策だ」とまで述べ、反発したという。

 他にも興味深い話題が多い。1967年の六日戦争でイスラエルが圧勝、エルサレムを東西に分けていた鉄条網が撤去されるや東の住民は「西エルサレムにはなんでもある」という噂を聞いて、おっかなびっくり出かけたという。冷蔵庫やラジオなど、初めて見る家電製品に興奮し、横断歩道では信号機を見学する人の群れができ、点灯する度、拍手が起きた。イスラエルとアラブの格差を象徴する出来事です。

 三井美奈氏、現在は産経新聞で外信部編集委員。「三井美奈の国際情報ファイル」でトランプ大統領の移民入国禁止令がなぜかアラブ諸国で擁護されている理由を解説、『入国禁止措置は「イスラム教との対決」ではない。それを装った、トランプ新政権の巧妙なイラン封じ込め政策である点を見逃してはならない』との指摘など、ひたすら人権問題としてトランプ叩きをする他のメディアとは視点がまったく異なります。

欧州のイスラム移民問題から安楽死問題まで守備範囲は広く、とくに安楽死問題は日本にとっても他人事ではありません。産経は良い人材を受け入れましたね。

   (PB生、千葉)

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(読者の声2)ドイツでは外国人登録法が改正になり、外国人はすべて十指の指紋を採取されることになった。これは宮崎市定が1965年にドイツのハンブルク大学から客員教授に招聘された時の話で、10月に赴任した本人は指紋押捺はなし。

一月遅れの同僚たちは、みな指紋を押捺せねばならなかった。当時のドイツはバルカン方面からの労働者の急増で治安に問題が生じていたらしい。迷惑な話ではあるが、少数の悪い奴、とは言わぬまでも取締対象者のために、多数の関係ないものが一律に同じ法制の取扱いを受けることは已むを得ないことなのである、と納得。

 隣国フランスでは外国人は常時IDカードの携帯を義務付けられ、IDカードの写真は警察にも届けてある。肖像権の保持もまた重要な人権の一種であるが、この場合そんな堅苦しいことは言っておられない、とフランス当局を支持している。

 日本の場合はどうか。

1985年に書かれたものですが、日韓で指紋押捺問題が騒がれた折、当時の島崎法相が韓日議員連盟の権会長に説明したのは次のようなもの。

一、登録外人の氏名変更が年間二千五百件ある。

二、自治体から同一人性確認で疑問があるとの届出が、年間七百件ある。

三、昨年は三十七件の不正入国が発見された、等。

 さらに北朝鮮からのスパイ事件が後を絶たないこと、辛光洙の日本人拉致事件にふれ、辛光洙が韓出身二世、原敕晁を拉致し北朝鮮に送り、原さん名義の日本国旅券、運転免許証、印鑑登録証、国民健康保険証などを奪い、原さんに成りすましたのは、日本人は指紋押捺の義務がないため、指紋照合によって身元がばれる心配がない、というのが最大の理由であった、とする。

 タイでは15歳で写真入りIDカードをつくりますが、同時に十指指紋を登録します。そのため犯罪現場で指紋さえ採取できれば犯人がタイ人ならすぐに特定できる、とタイ警察で犯罪捜査を教えている日本人の元刑事がテレビ番組で話していました。

犯罪に限らず痴呆老人の徘徊、震災での犠牲者の本人確認などでも指紋が登録されていればすぐに判別できたことでしょう。

日本では身元不明死者が年間数千人とも言われます。そのうちの何%かが外国人による背乗りだとしたら恐ろしいことです。大阪の葬儀業大手の会社では身元不明遺体を常時50 60体保管しているという。

http://www.j-cast.com/2016/03/11261120.html?p=all

 

 本人確認にDNA鑑定などといった手間暇をかけるより、希望者の指紋を登録できるシステムが必要ですね。

  (PB生、千葉)

宮崎正弘のコメント)日本の法律の不備は多いのですが、最大の問題は、こうした法改正に反対する左翼団体、在日団体、それらを応援するリベラルなメディアが元凶となって法律改正が進まない、というのが現状だと思われます。

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帰化人を含めた指紋押捺を復活すべきなのです。

総ては、Koreanの特権を守ろうとする企てなのです。出自の明らかでない人間が、野党の党首だとか、帰化人が簡単に日本人に成り済ますとか、総ては朝鮮人の企み!