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その2 文章実験室課題「ともしび もしかして」 

 山が低く唸っている。

 なにが起こったのだろうと目を開けようとしたら、目は、すでに開いていた。

 驚くほどの暗闇だった。どうやら私は倒れているらしいのだが、起き上がろうにもどちらが上なのかもわからない。手を伸ばしてみても、その手がどこを向いているのかさえわからない。重力すらも曖昧な暗闇。そもそもなぜここが山だと思ったのか、すでにわからない。

 あぁ、これは夢なのだ、そう思った。だが、夢だと思ってもなぜか恐怖は抜けない。私が横たわっている地面と思われる場所はじっとりと湿っていて、小さく尖った小石が肌に刺さっているようだった。少し体をずらすとジャリっと音がした。

 とにかく起き上がってみようと、手のひらを小石だらけの地面に置き、押してみたが、これがどうにも痛い。しかも体は随分と重く、私の貧弱な筋力ではまったく持ち上がらない。手でぐっと地面らしきものを押してもほんの少ししか持ち上がらず、ついには手のひらの痛みに耐えられなくなってしまった。

 まあ、いいか、どうせ夢だ、いつかは覚める。

 目の前と思われる方向に手を伸ばしてみる。見ることもできずなににも触れないその手は、それがあるかどうかすら怪しい。

 ふと、山がすでに唸っていないことに気づいた。私の意識なんてそんなもんだ、これが夢でも、現実だとしても。

 ひねくれないように嫌われないようにと生きてきた。流行の服を着て、流行りのテレビドラマを観て、流行りの歌をこっそり練習して。そして目立たないように出しゃばらないように浮かないようにと気をつけた。でも、いつも気がつくと嫌われ者になっていた。小学校、中学校、高校、大学、バイト先、そして今。環境が変わるたびに今度こそはと思うのに、どうしても嫌われる。

 会社でも、私は陰口にしか登場しない。

「なんか、気持ち悪いのよねー」

「見た? 今日の完璧ネイルとドーンと胸のあいたニット。いい年してさ」

「ね、それで『私はあなたがたとは違いますの』って、あの感じ」

「完璧な作り笑い!」

「それそれ。あれなに? 媚びてんのばかにしてんの、どっち?」

「どっちもじゃない。私たちをバカにして、男に媚びてる」

「あ、どうやら課長とできてるらしいよ。営業の拓殖くんが言ってた」

「えー、アタシ部長とできてるって聞いたけど」

「出世でも狙ってるのかしら?」

「事務員に出世もなにもあるわけないじゃん。ってか、あー!もうやめて。想像しちゃって鳥肌!せっかくのピエール・マルコリーニ様がまずくなる」

 今日偶然聞いてしまった後輩たちの陰口が闇に浮いて落ちてくる。重く冷たくのしかかる。給湯室、スイーツ、恋話噂話……私がどうしても入りたかった場所を、外で盗み聞きする私が見える。

 確かに私は誰とでも寝る。だって嫌われていないのが嬉しいから、断ったら嫌われそうで怖いから。受け入れる他のすべがわからない。

 闇に倒れた私の目の端に闇より暗い山が浮かんだ。削り取られたほんのりピンクの山肌がぼんやり浮いた。あの桃色は、山肌か、興奮した男の肌か地面と思われるところから、ゾクリと寒気がきた。あの日の感情がよみがえる。ただ弱くて頭が悪くて、臆病者で媚びた子供の私が、ひねくれていると言われてひねくれの意味がわからなかった子供の感情がよみがえる。いまだひねくれの意味を知らない私の中に、極彩色をまとって鮮やかによみがえる。

 嫌われるのが怖い。冷たくされるのが怖い。捨てられるのが怖い。何もかも怖い。私を見てなにを思っているの? どう見えてるの? 嫌わないで、無視しないで、私を置いていかないで……

 ふいに、生暖かいものが体をまさぐってきた。人の手だ。10本の指がせわしなく素肌を這い、二本の腕が、あんなにも重かった体を軽々と抱き上げた。

 闇から引きずり出され目をあけると、ニヤリといやらしく笑う男の顔があった。

「目が覚めちゃったからさ。もう一回しようよ」

 男の向こうにある窓からの街の光で、部屋の中は電気を消していてもうすぼんやりと明るく、男の肩の稜線は光を受けて光っている。

 私は両手を男の背中にまわし、その稜線に顔を埋めた。男の手が当たる場所から、ゆるゆると快感が沁みてくる。私の体が男に媚びる。じっとりと寝汗に濡れた私の肌が男の手のひらに擦り寄ろうとする。

「んっ、あ……」

 息が、漏れる。

 肌に触れる手が、私がそこに在ることを暖かく教えてくれる。在っていいと、熱い息が許してくれる。汚くないと舌が認めてくれる。

 私は人と交わっていいんだ、と、誤解させてくれる。

 舌でクリトリスを強く吸われ、鋭い快感が突き抜ける。体が濡れて思考が溶ける。そのまま指で中をかきまわされ、私がぐちゃぐちゃになる。

 つかのまの、幸福。そのうちには安堵で取り戻した輪郭がまた遠くなり、そして山が現れる。それまでの悦楽。

 舌がクリトリスから離れ、男が私にのしかかってきた。私は悦楽にしがみつくように男を抱く。両足を男の腰に絡め男を迎える。

 男が入ってくる。

 だらしなく濡れて開いたヒダを分け、緩んだ内部をさらに押し広げて、男の身体が私の中を突き進む。もっと、もっと奥にと私の腰が突きあがる。

「ああっ いい」

 声をあげると、私の中にある男がさらに硬く熱くなり、そして激しく動きだした。下腹部に軽い痛みと甘い痺れが澱む。背中がぐんぐんと反り返る。なにかから逃げるように首が動く。逃げたくないのに、ずっとこのままいたいのに……

 そして、山が現れた。白い山肌が黒い山を背負ってのしかかる。すべての温度を奪って、冷たく重くのしかかり、私の汗を凍らせる。

 怖くて悲しくて、私は男の熱にしがみついた。必死で腰を動かし、山を振り払おうと声をあげる。

 この男がいっそ、めちゃくちゃにしてくれればいいのにと思う。なにも考えられないくらいめちゃくちゃにしてくるれるなら、それが快感でなくてもいい。私がすべて消えてしまえるのなら、それは痛みでも苦痛でもいい。

 私の願いは叶わず、山がどんどん迫ってきた。山の肌から同僚たちの声がする。同級生たちの両親の声が重なる。ひそひそと、しかし大きくこだまする。

「柘植くん……大好き」

 逃げたくて、悦楽の中にいたくて、泣きそうになりながら、ぎゅっと男を抱いた。

 なのに、その言葉を吐いたとたん、体の中にある男のものが、急激に萎えた。私を抱く腕の力が緩み、体の隙間に冷たい空気が割り込んだ。

「ごめん。なんかそういうのは……」 

 目を開けると、ぼんやりとした闇の中に、目を逸らした男がいた。

「ううん、私の方こそ……ごめんなさい」

 完璧な作り笑い、それが何の役に立つのか。

 背中を向けて眠ってしまった男の隣りで、私も男に背中を向けて、ほんのりと青く光る窓を眺めた。光はぼんやりとしているのに私にはとても眩しい。

 ベッドから降りてカーテンを閉めた。いっそ本当の闇の中に入ってしまいたい。でも、きっとカーテンくらいでは遮れない光が、この世には満ち溢れている。

 背中から男の小さないびきが聞こえてきた。夢の中で聞こえた山の唸りと同じ音だ。

 いっそ、大きく激しくなればいいのに。すべてを揺らして、壊してしまえばいいのに。そうしたら、すべてがなくなった闇の中で最後に残ったひとつだけを目指して生きられるのに。

 カーテンに手をかけたまま、私は目を閉じた。遠くにあの山が見えた。

 あの日見たあかりを見たくて、私は山を見続けた。でも、どうしても見えない。きっとここからでは見えないのだ。うすぼんやりとしたここからでは。

 唸っているのは山でなく、ここは闇の中ではないから。

「その1」はこちら

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次回文章実験室は……今夜!