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過ぎ去りし夢たち。

小学生の頃の夢は、保育士か

小学校の先生になる事やった。

高校も保育の授業があるのと、

調理師を志す人に有利な資格が取れる事も魅力に感じて進学したけど、

まさかの暗黒の

女子高生活に終わった。

ずっと担任だった先生に

小学校や児童福祉関係の

仕事がしたいと相談に

乗って貰って 精神疾患

改善と貯金がしたい一心で

昼夜働いたが、まさか

家庭の事情で、それすら

阻止される運びになるとは

夢にも思って居なかったけれど、

保育士や教師を志願して居たわりに、

夢は家庭的な奥さんになる事と

卒業文集に書いて居たのも、

小さな頃から 結婚しやんと

お母さんの世話をしてと

言われ続けて居て 笑顔で答えながらも

本当は強い結婚願望を持って居て

子供も産んで暖かな家庭を築きたい

気持ちや憧れが強かったのと、

もしかすると、

結婚すら出来ないのかも

しれないと言う恐怖心や

焦りを 小さな頃から

肌身で心で感じ続けて

きたから そのように

書いたのかもしれない、

未来の事も

なにも知らなかったのに

薄々と勘付いていて

そのように

書いたりしたのかも

しれないと、

今になって

あいだにカウンセラーや

癒しのお仕事や福祉のお仕事

を志望したり従事させて

いただいたけれど、

環境がそれらに

覆いかぶさっては

他の道に進めと 違う方角へ

指をさし続けた。

悔しくて悔しくて

悲しくて自分の無力さが辛かった

夢なんて叶えられるのも

自分のしたいことが

出來ると言うことも

本当に幸福で恵まれている事で、

それが容易くできる場所に

身が置かれている人と

それが困難な場所に

身を置かれている人とでは

大きく人生や感じ方などが

変わってくる。

おなじ望みや夢があっても

それらへ進む道が用意されている場合と

その道に進みたくとも

道すらなくて断崖絶壁だったり

する場合とは天と地の差ほどの

違いが出てしまう

環境のせいには

したくはないけれど、

それも大いに関係していて

夢見ることを許される

場合と、そうじゃない場合があって

人間は、平等なんかじゃ全然なくて

家庭環境を選べなかったのも

仕方がないことで、どうしようもなくて

気が遠くなりそうなぐらいに やりきれない気持ちがあって それでも諦めることしか光を見いだせる手段が無い気がして

ただただ落胆し続けてきて

現実に嘆いていたけれど

自分の夢、云々じゃなしに

どん底をこれでもかと

経験し続けてきたおかげで

諦めること、新たな夢を持つこと

だけが救いのようにも思えてきて

救われる気すらしなくはないけれど

私の心の中にはいつからか

ひかりなんてものは

殆ど残っていなくて、

人生の前半では

自分の生きたいように

生きれなかった気がして

どうする事もできない

灰色の憂鬱を引きずりながら

歩いてる。

人が歩けば

影が存在するのは

当然のことだけれど

遠くまで伸びる影を心の底からゆるせて

愛おしむ日なんてものは はたして

やって来てくれるものなのか?

まさか、祖母や母の介護を

若い段階ですることになるとは

夢にも思っていなかった。

若かりし頃の自分には

とてつもなく酷なことだった。

無意識のうちに

とっくに許していたはずの

ゆるせないきもちは

間違いなく、自分の心の

どこかに潜んでいて

ゆるせないことも

ゆるしてあげて と

そこから離れてくれそうにない

全てに感謝したいきもちで

有りながらも、どこかしらに

不満を孕み、まるで我が子のように

抱き抱えている

人生なんてどこで

どうなるかは定かではなくて、

希望の光に満たされたりすることなんて、この先も きっと 有りえないことなんじゃないか。

そう、しんださかなのような

冷たくドライな瞳で煙草をふかしながら

考えては落ち込むというルーティンからは今は逃れられない

それでも、

夢や希望はちゃんと

携えて居たい。

なにもないより

でたらめの夢でも

こさえたほうが

長い長い道中

少しは楽しく

生きて行けそうな気がするから

希望と夢は

棄てないことを

改めて自分と約束がしたい