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「この道はいつか来た道」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/17435 (写真入り記事)

北原白秋 作詞 山田耕筰 作曲の「この道はいつか来た道」という童謡があります。

この道はいつか来た道

ああ そうだよ

あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘

ああ そうだよ

ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道

ああ そうだよ

お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲

ああ そうだよ

山査子の枝も垂れてる

私にとっての「この道」は、聖書が語る『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』(ヨハネ福音書14:6)と言われた道です。「イエス・キリスト」のことです。

作家の三浦綾子さんは、この聖句から「道ありき」という本を書きました。

ご自分が教師をしていた時、敗戦後の子供たちに、国語の教科書の多くの箇所を「墨」で塗り潰させました。「これが正しい!」と教えて来たことを、「これは間違いだ!」と教えなくてはならなくなり、何も文句を言わずに教科書を「墨」で塗り潰している生徒を見ながら、「真理とは何か?」「自分は、これから何を教えたら良いのか?」苦悩し、迷いました。

道は、歩いて目的地まで行くためのものです。しかし、「途中で、間違った道を歩いていた!」と気がついたとしたら、修正して、正しい道を歩めばいいのです。

ある人は、ずーっと歩いて来たので、「今さら違う道を歩みたくない」と思うかも知れません。しかし、人生にはそういうことが起こり得ます。歩き続けることが大切なのではなく、修正してでも正しい道を歩むことが大切です。

聖書は、布教のための宣伝文書ではありません。人々が信じやすく、信じたくなるような技巧は施されていません。しかし、正しい道を教えます。

「この道」は、「いつか来た道」でもあります。

私たち人間は、神によって造られ、神のもとからこの地上に来ました。しかし、先祖であるアダムとエバは、神と共に生きる道を捨てて、悪魔に誘惑され、自分の思う道を歩み始めました。その結果として、人は不幸を経験し、死ぬべき存在となってしまいました。

しかし神は、2017年前のクリスマスにイエス・キリストをこの地上に送られました。そして、十字架と復活を通して、神に立ち戻る道を造って下さいました。

道は、踏みつけられて人を正しい方向に導きます。イエスは、十字架の上で人々に踏みつけられ、殺され、自らが、天国に続く道となられました。

私は、「この道」は初めて来た道であると同時に、「いつか来た道」であると思います。

週末は何をして過ごされますか? 三浦綾子さんの書物を読んだり、聖書を読んだりしながら、自分の歩んでいる道を確認し、顧みる時を持ってみませんか?

電車が線路の上を走るのは、道が決められてしまっているので不自由でしょうか? そうではありません。線路の上を走ってこそ自由なのです。

私たちも、天国に通じる道を見つけ出し、その道を歩んで行きませんか? そこに本当の自由と、確実な人生があるのです。